ふと思った。2026年04月29日 14時49分20秒

ふと思った。 人間が働く等して動くことは、深くモノを考えないためなのかも知れない。 働かないと考える時間が出てくる。 深く考えると、この世の中の総てが思い込みで動いていることが分かってしまう。 そうした根拠のない思い込みで出来上がっているこの世界に嫌気がさすのだ。 そうした現実から目を背けるために、人間は働いているのかも知れない。 人間は科学というモノを信じている。 然し、現在は宗教として成り立っているモノも、以前は科学だったのだ。 宗教の最も古い物は佛教だ。 佛教は当時は最先端の科学だった。 文字の発明や熟語の発明。 現代でも使われている言葉の殆どは佛教という学問、科学から来ている。 何時の時代からか、佛教は宗教というジャンルに区分けされた。 科学は別の信仰の外にある事象を取り上げているようだ。 科学は数学的な要素が大きい。 数字があらゆる事象を説明することに便利だからだ。 然し、その数字というモノも思い込みでしかない。 数字は実態のあるモノと理論的なモノとに分かれている。 整数は主に実態に倣っているが、0やマイナスなどは論理的な思い込みだ。 そもそも0というモノの存在は無い。 四則演算などの基本的な計算で0やマイナスがあると便利だから作られた理論なのだ。 つまり、実態のない思い込みなのだ。 そもそも数字という思い込みは手足の指の数から来ている。 そして加減乗除の計算法則は、極限られた範囲内での計算に適している。 例えば時間の計算などは数字では現しきれない。 円の外周も同様だ。 数字は万能では無く、限られた範囲での使用に限られる。 言い換えれば人間に都合の良い範囲でしか使えないのだ。 言葉も思い込みだ。 我々は他人の言葉を真似て、そしてその意味は自分の体験からの解釈でしかない。 痛いや怠いなどの自己の感覚などは、周囲の人間の行動や態度を観て、それらしく思える状態を言葉として思い込んでいるだけなのだ。 目で見る機能は個々人で総て違う。 つまり色の解釈も十人十色。 赤と言われている色も、他人が赤だと言っているから赤なのだ。 自分に見えている感覚では、緑色か黄色かも知れないが周囲に合わせて赤と思い込んでいるだけだ。 色盲や色弱などが存在する事で、そうした感覚的なことの認識は思い込みでしか無いことが分かる。 つまり、個々人の感覚は本人感覚であり、他人がその感覚を共有することが出来ないので、個々人の思い込みが総てなのだ。 そう考えると、この世の中の総てが全く不規則で出鱈目な法則に従って動いていることが分かる。 極端な話、最初に言った者の感覚が始まりであり、総てなのだ。 正に思考感染の世界なのだ。

改めて思った。2026年04月29日 14時53分41秒

改めて思った。 人間は思い込みだけの存在だ。 思い込みだけで、総ての人間の理の根拠は無い。 確認しようが無いのだ。 思い込みが偶然、都合良くまかり通っている。 それが人間世界の現実だ。 更に言えば、思い込み以上の世界・段階には踏み込まない。 それが人間世界での無意識の約束事なのかも知れない。 然し、伝奇の発見や核の知識は踏み込んではいけない世界・段階だったようにも思われる。実際に原子核の技術が無くても、人間の生活には何も困ることは無いのだ。

Xのアカウントがロックされた。2026年04月29日 14時54分53秒

Xのアカウントがロックされた。 初めてではないが、非常に理不尽さを感じる。 恐らく政府批判をしているので、政府が少しでも問題があった場合にはロックするように依頼していたのだろう。 岸田政権の時もロックされたので、大体分かる。 Xはフラストレーションのはけ口にしか成らない。 収益も絶対にならない。 Xで収益を上げているというのは、間違いなくやらせである。 表示数を多くしても収益には成らない。 どんどんゴールを下げられる。 SNSは詐欺だと言って良い。 さて、ブログもno+eもコンテンツを決めて投稿する時が来た。 うる星やつらの会報の開示だ。 著作権の問題がクリアにならないと危険である。

ふと思った。2026年04月29日 14時58分58秒

ふと思った。 働かない方がお金が減る気がしないのだ。 つまり、税金を払わないだけで、お金を使わない気がするのだ。 そもそも、働くのは奴隷の仕事だ。 お金は思い込みで価値があると勘違いさせられている税金の支払いのための道具だ。 人間は働く必要など無い。 それは昔からの決まり事だ。 働くのは奴隷か家畜などの支配される生き物の仕事だ。 人間は科学技術を巧みに使って労働の効率化や自動化を試みてきた。 そして、現在ではロボットなどの人間の代わりに労働を任せられる存在がある。 しかし、何故か人間は労働に就かされる。 それは人間自体が労働するべきだと思い込んでいるからだ。 人間は労働などする必要はない。 生産活動と言われるモノは、総てロボットや家畜などの使役動物に任せることが出来るはずなのだ。 資本論では労働者は期間限定での奴隷だと言う。 正に人間は自ら奴隷になる習慣を刷り込まれているのだ。 何か物欲を満たすためには貨幣という価値があると思い込まされたモノを使う。 そもそも、物欲を満たす必要性はあるのか? 無い。 欲しい物は総てロボットなどの機械に用意させれば済むことなのだ。 労働という奴隷の仕事を人間が行うから、移動に自動車が必要なのだ。 公共交通機関が必要なのだ。 労働を無くし、ロボットなどが生産活動を行えば、人間は自分勝手に生きていれば良い。 嫌になったら直ぐに死んでも良いのだ。 死んだ後の始末もロボットなどが行えば良い。 労働が無くなれば、人間は肉体的にも精神的にも余暇が出来る。 そして深く考える者も出てくる。 人間は余裕のある生活の中であらゆる思考の末に道を切り開くモノだ。 労働という無思考での作業は、人間を機械やロボットと同じ存在にしてしまう。 何のためにロボットなどの労働代替え物を開発したのか? コンピュータで計算能力を高めても、事務仕事が消えないのと同じ理由で労働が無くならない。 労働が人間から離れて行けば、社会も必然的に変化する。 何でも集団で意思決定したり、集団で他の集団を攻撃したりする事も無くなる。 又は更に人間同士の争いが増え、人間種が絶滅するかも知れない。 私はこの地球上の生き物の存在自体が間違っているとしか思えない。 私は思う。 人間どころか、この世界の生物は総て駆逐され、月や火星のように水も無く大気も無い静寂な空間が存在するだけで良いと思うのだ。 生物が絶滅し、思考する存在が居なくなれば、総ての苦しみは消滅する。 思考する存在が居なければ、苦痛という存在も無いのだから。 と思った。