この数日、熊による人間の死者が出る被害が続出している。 ― 2025年11月20日 12時33分23秒
この数日、熊による人間の死者が出る被害が続出している。
恣意的に熊を擁護する愚かな輩は、人間が熊の生息領域を侵したとか、太陽光パネルを山に設置して熊の餌が無くなったからだと、問題の本質を逸らす事を必死に訴えている。
問題の根底にあるのは、日本人が野生も含めた動物との付き合い方を知らない為に、付き合い方を間違えて着た結果なのだ。
野生環境などと言っては居るが、この日本の国土は総て人間の支配下にある。
人間のためだけに存在すると言っても過言では無い。
こうした考えを人間の傲慢だと言う者も居る。
しかし、それは生き物との付き合い方を知らない無知で愚薄な輩の戯言だ。
人間社会に於いて、動物は食用と愛玩用の二種類しか存在は許されない。
日本国内の野生環境と言われる場所で有っても同様だ。
野生環境と呼ばれる場所で生息する動物は愛玩用として区分けされるモノだと考えられる。人間以外の生き物は総て物で在ることを日本人は失念している。
人間という生き物とは決して対等でも同等でも無く、また生き物であっても、物なのだ。
つまり、生命与奪件は常に人間社会の規制によって決められる。
極端に数が殖え、人間社会に害を為す生き物は害獣と認識され、駆除される。
これは太鼓の昔から人間とそれ以外の生き物との揺るぎな掟なのだ。
さて、ここ最近どうして熊や猿、猪、鹿などの野生動物による人間社会への被害が増大したのか。
それは、動物愛護という間違った考え方が野生動物を駆除しなかった事にある。
最近の人間は、生命を奪う事、殺すことに異常な嫌悪感を抱く。
「殺に慣れる」と言う言葉がある。
私は現代に生きる人間こそ、「殺に慣れる」という言葉の意味を知るべきだと思う。
この言葉を知ったのは、尾関宗園という大徳寺大仙院の住職が書いた「不動心」という本であった。
その中で、「殺に慣れる-人はなまじっかな形で生かすな」とあった。
そして南泉禅師の厳しい行いが記されていた。
以下にその文章をそのまま記してみた。
↓
・うかうかしていると殺される世界
むかし、南泉禅師というエライ和尚がいた。
この南泉の寺には、たくさんの坊さんが集まって修行をしていた。
あるとき、この坊さんたちが禅をしているところへ、猫の子が一匹、ノコノコと出てきた。これを見て、この坊さんたち、この猫はおれの猫だ、いや、オレの猫だ、と争いを始めた。南泉が、これを聞いて、ヒョイと猫の子をつまみあげ、片方の手に刀を持って、坊さんたちに言った。
「大衆道(たいしゅうい)い得(え)ば則(すなわ)ち救(すく)わん、道(い)い得(え)ずんば則(すなわ)ち斬却(ざんきゃく)せん」
さあ、だれか、なんとか言え。
オレが納得するようなことをなにか言ってみろ。
そうすれば、この猫を助けることができるぞ。
なにも答えられないなら、この猫を斬り殺してしまうが、どうか、と言うのだ。
ところが、たくさんの坊さんがいるのに、なに一つ答えがでない。
南泉、ついに、この猫を斬り殺してしまった。
夜になって趙州(じょうしゅう)という和尚が外から帰ってきた。
そこで、南泉が、「きょう、堂内の坊さんたちが、猫を争っていたので、なにか言えば、この猫を助けることができる。なにか言え、と言ったのだが、だれも答えるものがいないので、とうとう、斬り殺してしまった」と、話した。
すると、趙州和尚、なにも言わずに、はいていたぞうりを頭に乗せて、出ていってしまった。
そこで、また、南泉が言った。
「子若(なんじもし)し在(あ)らば、則(すなわ)ち猫児(みょうじ)を救(すく)い得(え)ん」
もしこの趙州のように機転のきく和尚がいたなら、きっと猫も殺されずにすんだものを、という意味だ。
↑
何故、子猫は殺されたのか、、、と言うよりもこの世の中はうかうかしていると殺されてしまうと言うことを忘れていることを知るべきだ。
続きは尾関宗園の「不動心」を読んでみれば良い。
現代に生きる人間は、、食べる事に苦労をしなくなったせいか、統一国家(国連)の人権宣言という思考感染の影響なのか、自分の事を棚に上げて他のことばかりに注意が逸れている。
生命は実態のない概念だ。
生命という言葉は、人間同士が殺し合わないように諭すための言葉で在り概念だ。
では、動物には人間と同等に生命の価値を認めるべきなのか。
答えは否である。
現代に生きる人間は、生命を課題に妄想している。
人間が自分以外を生きていると認識している基準は、対象物が動くか否かだけである。
動くのなら生きている。
動かなければ生きていない。
生き物を動物と表現する意味は正にそこにあるのだと思われる。
無闇に生き物を殺してはいけないという考え方は間違っている。
人間は生きるために、同族である人間も殺すし、食べるためには自分以外の生き物は総て食材の対象だ。
自分以外の生き物とは、自分以外の人間も含まれると言うことだ。
食人鬼という言葉があるが、実際には食人する人間だ。
極限状態での共食いは総ての動物に於いては当たり前の行動だ。
生き物である人間もそういった存在であることを常に意識して、極限状態にならずに済むように環境を整えなければ成らないのだ。
人間社会に侵略を繰り返し、人間を襲い喰らう熊は極限状態の生き物だ。
しかし、その根本的問題は、個体数の増加以外に無い。
自然環境は常に変化する。
その環境の変化に対応できずに無節操に増殖した結果が食糧難での人間社会への侵略なのだ。
言い換えれば、食料を求める熊種と人間種の生存競争に於ける戦争が始まったのだ。
熊種の宣戦布告が人を喰い殺したという事実だ。
人間種は応戦しなければ、生活圏を奪われるだけなのだ。
これは熊種と人間種の生存圏を掛けた戦争なのだ。
熊が人間を餌と認識して、捕食目的で人間を襲い始めている。 ― 2025年11月20日 12時35分25秒
熊が人間を餌と認識して、捕食目的で人間を襲い始めている。
正直、熊種と人間種との戦争状態に入っていると私は感じている。
負ければ熊の餌だ。
既に何人かの犠牲者も出ている。
そうした中、Twitter(X)などのSNSでは、熊を擁護する投稿が絶えない。
投稿の内容は、熊が可哀想とか、熊の住処を奪ったのは人間だとか、メガソーラー建設が原因だと、恣意的で根拠のない感情論で熊を擁護しているのだ。
こうした熊を擁護する人間の特徴は以下の通りだ。
1,動物と人間との付き合い方が理解できていない。
2,生命という実態のない概念を間違って認識している。
と言うモノが目立つ。
先ず、
動物と人間との付き合い方:
人間と動物は決して対等な立場の存在では無い。
我々人間は、人間社会を築き、人間有線の世界の中で生存圏を維持している。
人間社会での動物とは、食料又は使役・愛玩の二種類しか存在が許されない。
どちらの動物も、人間が絶対的な優位性を保持し、常に動物たちの生命与奪件を握っていることが、人間社会での動物の存在できる条件だ。
よく、自然に居る動物という言葉を聞くが、ハッキリ言える事は、人間社会と繋がっている場所に師zん動物など存在しない。
人間の管理下で愛玩・保護されている動物を自然環境に住まわせているだけなのだ。
当然、今回のような人間を捕食目的で襲ってくる動物は駆除される。
地球上の総ての生き物は、人間が支配下に置いているというのが現実だ。
もし、そう出ない場合、人間社会は崩壊する。
人間と動物が共生しているという考えは、完全に間違っている。
人間が総ての動物の生命与奪件を握り、何時でっも殺すことができる状態にあるから、現在のように、愛玩・保護することが出来ているのだ。
人間と動物の付き合い方は、個々人の恣意的な感情で個人の責任の範疇で許される関係は問題ないが、人間社会に脅威となる問題に対しては、徹底して駆逐する。
人間社会であっても、現体制を転覆させようとする者は排除され殺される。
生き物とはそういう物なのだ。
人間と動物の付き合い方は、支配する側と支配される側という原則でしかない。
そして、人間社会に於いては、支配する者は支配されるモノの総てに
責任を持たなければならない。
もし、個人の支配下の動物が人間に牙をむく行動をして殺傷した場合は、その動物を駆除しなければならない。
この原則は何があっても変えては成らない。
次に、
生命という実態のない概念を間違って認識:
だが、この間違った認識は1947年の統一国家(国連)による人権宣言から来ていると考えている。
生きるとか、生きているとか、生命というモノは、どういうことなのか。
生きている存在を生命があると定義している人間が殆どである。
では、生命とはなにか。
答えは、外貌して見て動いているか否かである。
そして生命というモノに実態は無い。
概念だけなのだ。
生命という言葉は、単に動いているか否かの生き物の実態を、生命という概念で尊い存在であり、生命という実態が無い概念でも、奪うという言葉で、人間を殺すことを否定させる社会的な安定を促すための概念として使われ続けてきただけのモノだ。
私的には、生命など何の価値も無く、私の意にそぐわない生き物など殺しても構わない。
それが当たり前の生き物の思考なのだと思う。
今の日本人は、そうした概念を刷り込まれて実態の無い無価値なモノに価値を信じている傾向がある。
日本人の特徴なのか、お上の言うことを疑わない思考放棄の民族の土壌があるのかも知れない。
明治維新前までは、一般人が義の為に他人を殺すことは、悪いことでは無かった。
明治政府が義を貫くことを国民に約束する形で法律に殺人をしたら罰する事を定めただけだ。
日本人の多くは愚民である。
考えることを放棄し、お上の言うことを信じ、同調圧量に屈し、自己犠牲を美徳と信じ込まされている。
愚かな民だ。
さて、こうした愚民に何を言っても無駄なのかも知れないが、今回の熊が人間を餌と認識して捕食目的で攻撃してきた場合の対処は一つである。
圧倒的な力で殲滅することである。
どこだかの知事は、自衛隊の出動を要請するらしい。
実際に害獣と生命の遣り取りをする経験は、良い経験かも知れない。
私個人としては、日本国が害獣を管理する能力が無いとしか思えない。
ならば、この期に総ての害獣を日本国内から殲滅してしまえば良いと思う。
熊、鹿、猪等の大型の害獣は総て殺処分してしまうべきだと考える。
日本のような狭い国土に大型の害獣が潜んでいたこと自体が国家の怠慢である。
それを妨害する動物愛護法、鳥獣保護法も廃止にするべきだと考える。
日本人は考え方を明治以前に戻し、改める必要がある。
どこのウマノホネか判らない天皇などを崇め、国家元首でも無いにも関わらず、大臣を任命するなど、おかしな国家体制も改めるべきだ。
どうせなら、日本国内のおかしな事を総て片付けてしまいたいモノだ。
ある程度人生に目処が付いたら、死ぬ準備をするべきかも知れない。 ― 2025年11月20日 12時39分21秒
ある程度人生に目処が付いたら、死ぬ準備をするべきかも知れない。
自死の準備だ。
私も64歳になったので、人生というモノに目処が付いた。
身体も動かなくなり、各感覚器官が衰えてしまった。
私が生きているこの世界は不合理な世界だと思う。
何故なら、短い時間を生きて確実に死ぬからだ。
人間はその事を知って負け惜しみで、短い人生でも幸福だと言い、無に帰って行く。
私は面倒くさいことは嫌いなので、何時までも苦痛の人生を送りたいとは思わない。
もう、いいやと思ったときに死ぬ為の準備が必要だと思うのだ。
死んでしまった父は、生前私との少ない会話の中で、死について聞いてみたことがある。
父は「眠って起きないだけ」と即答していた。
80歳を超えていたので、今の私よりも実感があったのだろう。
それを信じるとすると、深く眠ることが一番自然な死に方なのかも知れない。
そうなると、睡眠薬での自死となる。
薬物死は安楽死に使われる手法だ。
生きている中に死に方を考えられることは、ある意味、贅沢な事だと思う。
生きることだけでは無く、死ぬことも真剣に考える。
私もやっと人間らしくなった感じだ。
じっくり手段を選び、道具を調え、その時になったら実行する。
覚悟とはそういうことなのだと思い始めた。
子供の頃から思っていたのだが、 ― 2025年11月20日 12時41分35秒
子供の頃から思っていたのだが、女性が夜中に一人で出歩いたり、一人暮らしをすることは、間違っていると感じていた。
そして、暴漢や強姦に逢っても、自業自得だとも思っていた。
子供ながらに、女性は常に男性を挑発していると感じていた。
化粧やお洒落などは、明らかな挑発行為だ。
そうした挑発行為で自分の好まない者が寄ってきたからと騒ぐのはおかしいと思っていたのだ。
この世界は、こうした自業自得を他者の責任にすり替える女性しか存在しないのがこの世界だ。
こうした優遇された状況でも、文句しか言わない女性という生き物は、私は子供の頃から
大嫌いだ。
当然、母親も姉も総ての女性が大嫌いだ。
何より嫌なのは、それが当たり前のように振る舞う女性が許せない。
私はイスラム教徒では無いが、イスラム教徒の女性への扱い方は正しいと思うことがしばしば在る。
石打で処刑するのも大好きだ。
イスラム教が日本に入ってくることは無神論者の私としては賛成できないが、女性への扱い方は大賛成で在る。
今の日本人は、イスラムの男性の女性への扱いを酷いと言うが、日本も私の子供の頃までは、イスラムの男性のような女性への対応は当たり前だったと記憶している。
弁えの無い女は、家畜と同様にしつけなければ成らないと思うのは、万国共通なのだろう。正直、今の西側の女性が異常なのだと私は思っている。
慎ましやかに振る舞うのが女性の美徳で在る。
中国も韓国も皆、そうだったが、いつの間にか欧米のおかしな風潮が感染したようで、女性の横暴が世界中で問題になっている。
孤独死という言葉を使った報道を散見するが、孤独死という言葉は間違っている。 ― 2025年11月20日 12時43分23秒
孤独死という言葉を使った報道を散見するが、孤独死という言葉は間違っている。
人間は産まれた時から死ぬ瞬間まで、常に孤独な存在だからだ。
そもそも、「死」とは常に個人の問題だ。
つめい、如何様な死に様で逢っても、「死」は常に孤独な事態なのだ。
死ぬ瞬間に周囲に人が居ようが居まいが、死ぬ人間は常に一人きり。
死ぬときは孤独なのだ。
では、何故行政は「孤独死」等という言葉を使って国民に警戒感を促すのだろう。
それは、死んだ後の始末が面倒なだけの事なのだ。
病院や施設などの生きている人間の目の届く場所で死んだ場合、直ぐに処理がしやすい。
死んでから発見されるまで時間が経つと、死因の検証や腐敗の進み具合で処理が面倒なのだ。
要は死んだ人間のことなどどうでも良い。
後始末が面倒なので、「孤独死」を防ぎたいのだ。
しかし考えてみよう。
死ぬのは生きている人間の唯一と言っても良い自身の選択で決めることの出来る事なのだ。死ぬことまでも管理される生き様が、本当に生き物として良いのかは人様々だろう。
しかし、私は絶対に他人の管理下で死を待つのは嫌だ。
「孤独死」おおいに結構!
他人に迷惑など掛けて当たり前なのだ。
死んだ後のことなど知ったことでは無い。
これが生き物の在るべき姿で在り、真っ当な考え方だと私は信じる。
よく子供達に迷惑を掛けたくないとか言う愚かな老人がいる。
それならば、直ぐさま自死して居なくなってしまえば、子供達は安心できると思う。
人間は存在自体が迷惑な存在だ。
自分は周囲に迷惑を掛けていないと思い込んでいる傲慢な輩こそ、直ぐさま死ぬべきなのだ。
死生観は個々人で違うのだから、どう生きようと構わない。
しかし、死んだ後の処理が面倒なら、素直にそう言えば良い。
「孤独死」など総ての人間が孤独で死んで行く事を考えさせない悪質なプロパガンダだ。
こんな世界に誰がした!
と思う。
高市という女性が総理大臣になってから、Twitter(X)での投稿に鼻息の荒い女性の投稿が目立つ。 ― 2025年11月20日 12時45分24秒
高市という女性が総理大臣になってから、Twitter(X)での投稿に鼻息の荒い女性の投稿が目立つ。
高市という総理の特徴は、女という立場での、場を弁えない対人方法を武器としているようだが、正直、恩阿として媚びているだけの様だ。
そうした観たまんまの事を投稿すると、鼻息の荒い女性達が「侮辱」と言う言葉を使って反論してくる。
努力している人を非難するなと言う事らしいが、媚びていると観られれば、それが総てなのだ。
女性はなにかと自分達が虐げられているとアピールするが、我々男性からすると、全くそんなことは無い。
単に、女性は劣った存在だから我慢して上げているだけなのだ。
イスラム教ではこうした傲慢な女どもには、打擲して言うことを聞かせる事が一般的らしい。
私はそのやり方に賛成である。
男の社会では、そうしたことは当たり前で、下手をすれば殺される。
女どもはそうした弁えを全く持っていない。
常に自分と同等の立場の人間しか居ないと勘違いしているのだ。
人工子宮が出来上がった場合、私は30年程で
女性という性は無くなると考えている。
先ず、男性側は面倒な女性という生き物に子供を産まさせず、人工子宮とそれに携わる人々と協力して子育てを行うようになるだろう。
女性に教育をさせると、ゆがんだ人間になるからだ。
女性は女性で、自分は虐げられているという腐った考え方をしているので、自分と同じ性の生き物は必要ないと考えるはずだ。
そして、30年という2世代間の器官を置いて、女性は居なくなる。
当然、女性から人間種が産まれることも無くなり、自然出産は消滅するのだ。
親子関係も大きく変わり、家庭という間違った人間社会の制度も消滅する。
そして、人間は産まれたときから死ぬ瞬間まで孤独であることを認識し、人間種は自ら繁殖を辞め、消滅する。
人工子宮が出来て100年と経たない間のことである。
現代の人間は、この後も何百年も人間種がこの地球の表面で生き続けると考えているようだが、私は100年も保たないと考えている。
生き物は必ず滅びる。
新たな種は、更に新たな種に、滅ぼされるために出現する。
生き物は進化などしない。
単に変体しているだけなのだ。
生き物の正体は「管」である。
一方の入り口から吸収し、もう一方の出口から排出する。
それだけである。
脳を含めた各機関や四肢は、付属品である。
「管」が総てなのだ。
生き物は進化では無く、変体して環境に順応してきた。
生き物は死ぬために産まれてくるエネルギーの変換に於ける一形態なのだ。
当然、エネルギーは実態だから、それに生命という実態のない概念など無い。
2019年から始まった世界の人口削減計画は、今年で終止符を打つ筈だ。 ― 2025年11月20日 12時48分02秒
2019年から始まった世界の人口削減計画は、今年で終止符を打つ筈だ。
まあ、その後もおかしな事は起きるだろう。
一番心配なのは、世界大戦だ。
世界大戦と言っても、先の大戦のように各国が軍事行動を起こして始まるような戦争は起きないと思う。
ウクライナやパレスチナのガザ地区のような、異国人の宣戦布告のない侵略戦争が主体になると考えている。
宣戦布告のない戦略戦争とはなにか。
それは、移民という侵略者が、侵攻した国に棲みつき、その国の文化を破壊して、数で原住民を追い出す戦略だ。
現在、EU(欧州連合)諸国で起きている移民の侵略によるEU(欧州連合)文化の破壊がそれに当たる。
ヨーロッパ文化をイスラム教文化で埋め尽くす。
成長した文化国家は必ず少子高齢化になる。
しかし、イスラム圏の国は文明的な進歩が無く、民族増殖で自分達の文化を広げている。
彼等は哺乳類では無く、昆虫の様な生き物と考えた方が判りやすい。
イスラム文化の人間は、近代化されたEU(欧州連合)や日本を含めた西側諸国の文明国家とは相容れない文明国家なのだ。
しかし、東西冷戦が終了した1990年代からEU(欧州連合)は道を間違えた。
人口減少の解決策に移民、しかもイスラム教国家の移民は絶対に受け入れては駄目なのだ。理由は、イスラム教国家の大半は貧困国家であり、繁殖する行為を最上の快楽であり、神からの褒美だと信じている。
言わば、獣が服を着て歩いている存在なのだ。
西側諸国は1947年に、文明的な利を背景に傲慢な実験を開始した。
人権宣言による人間種の統一国家思想を思考感染させる実験だ。
統一国家(国連)とは人権宣言で判るとおり、誰もが生きる権利を持つなどと、間違った思考を世界中に喧伝した宗教のようなモノなのだ。
人間は自分に都合の良いことは否定せず、不都合なことは認識すらしない。
それどころか攻撃して破壊する。
そうした人間の本能、思考的な特徴を衝いた戦術・実験が人権宣言なのだ。
生きる権利が人間種にはある等と言われ、産まれてきた人間は総て生きる権利があり、保護されると勘違いを起こしている。
人間種も食料が無くなれば、食料を奪い合い、殺し合う生き物だと言うことを完全に無視した思考感染実験なのだ。
結果、
1947年に発せられた人権宣言から50年もしない中に、人口爆発が起こってしまった。
人間も生き物である。
食料が簡単に調達でき、生活の利便性が向上すれば、することは繁殖行為しかない。
産めよ殖やせよという無節操な男女の交わりが、あっという間に人口爆発の原因となってしまった。
人権宣言以前の世界には、地域文化として人口を抑制する機能があった。
世界中にあった食糧事情に合わせた嬰児殺しだ。
成人した男女の性行為は抑制できない。
しかし、食料は総ての人間に行き渡らない。
そこで間引き行為が行われる。
一番手間が掛かり、生産性の無い存在が嬰児だ。
だから、嬰児殺しは合法的では無い場合が多いが、決して無くなることは無かった。
現在でも、望まない妊娠を中絶する事が多い。
基本的に合法的では無いが、実施を阻むことは出来ない。
しかし、人権宣言後の嬰児殺しは圧倒的に減少している。
食糧事情の改善もあるが、人権宣言という「権利」を主張して生かすことを始めたからだ。生き物は食べるために他の生き物を生かしておく。
人間に於いても同じだ。
他の人間も、生産を維持するために生かしておく。
生産性が無く、ただ食べるだけで生きている人間は、疎まれ、殺される。
乳母捨て山などは、食糧事情が不安定な人間社会の場合は、当たり前の事なのだ。
現在の世界は、食料が世界中の人間種を食べさせるだけ確保できている状態だと思う。 ― 2025年11月20日 12時48分58秒
現在の世界は、食料が世界中の人間種を食べさせるだけ確保できている状態だと思う。
しかし、無節操な人間の高層建築物などの影響で、地球の大気の循環を司る風の進路を妨げている。
結果は現在の気候変動だ。
観ない半球での気候変動の噂はあまり聞かない。
北半球では偏西風の蛇行で季節が狂ってしまっている。
現状では、何時食糧危機が訪れるかは想像できない。
しかし、人口爆発で世界総人口が100億人を5年以内に突破することは判っている。
あまり考えたくないことだが、食糧危機は一瞬でやってくるだろう。
世界の食糧備蓄など直ぐに人間種の胃袋に消えてしまう。
実際にその兆候は出ているのかも知れない。
アフリカなどの非文明国家は、万の単位で人間が死に、殺されている。
パレスチナへのイスラエルの攻撃は絶対に止まない。
理由はガザ沖のガス田利権をアメリカ合衆国とイスラエルが得る為だ。
ガザ地区の人間排除の本当の犯人はアメリカ合衆国とイギリスだ。
1990年代にイギリスがガザ沖のガス田の存在を発表したことに端を発し、パレスチナ人を迫害をイスラエルが始めた。
2022年のパレスチナ側の人質事件で現在の戦闘になっているが、人質を帰しても絶対に戦闘は終わらない。
ガザ沖のガス田という利権をアメリカ合衆国とイスラエルが奪うまでは。
宣戦布告のない侵略戦争は、イスラエル、アメリカの十八番なのだ。
アメリカ合衆国は米ドルを基軸通貨として、世界に米ドルでの決済をシステム的に強要している。
世界各国の銀行にシステムの導入を強要し、現在に至っている。
しかし、アメリカ合衆国は来年にはそうした基軸通貨の利権を失うかも知れない。
アメリカ合衆国は過去からの過剰な消費社会から脱却できず、資本主義に於ける資本に操られて身動きが出来ない迄になっている。
アメリカ合衆国は基軸通貨と決済システムのお陰で経済的な優位性を保っているだけの超過負債国家だ。
特に西側諸国はこのシステムに依存しすぎている。
次にBRICSの台頭で、米ドルの価値がなくなる可能性がある。
BRICSの決済システムの開発・拡大が進むと、西側諸国よりも決済金額が多いはずだ。
使われない貨幣など、価値も無くなりアメリカ合衆国は負債だけの国家になる。
当然、米穀債を大量に保有している属国は、間違いなく経済破綻に追い込まれる。
資本主義経済は、常に新しい市場を見つけなければ、資本が増えないので破綻する。
銀行機能は常に貨幣の創造を行わなければ、その存在を許されない。
資本主義経済は、必ず破綻して再生を試みなければならない。
資本家は、それが判っているけれど、自分の生きている間は大丈夫だと自分に言い聞かせて、資本に動かされている。
現在の資本主義経済が破綻することは確実である。
それが何時なのかは判らない。
それだけの話しだ。
日本人のことしか判らないが、日本人は民主主義という政治体制には馴染まない。 ― 2025年11月20日 12時50分16秒
日本人のことしか判らないが、日本人は民主主義という政治体制には馴染まない。
真剣に考えることが出来ない民族になっているからだ。
石破総理から高市総理に交代したが、自由民主党政権であることは変わらない。
しかも、連立を組んでいた公明党が連立を離脱して野党に下野した。
代わりに入ってきたのが維新の会だ。
自民党も維新の会も、金に汚いヤクザが政党を名乗っているだけの組織だ。
日本人はいい加減に政治に真剣に向き合う引きに来ているのだが、全く反応が無い。
むしろ思考停止状態が更に酷くなっている。
思考放棄していると言っても過言では無い。
ハッキリ言って、んほんの政府は自国民を殺しに来ている。
ウクライナ政府はロシア語を話すウクライナ国民をウクライナ軍が空爆して殺し始めた。
それをロシアが介入して戦闘が現在にまで至っている。
実は日本も同じような事が起きている。
能登半島地震での被災者を見捨てた岸田内閣は、正にウクライナ政府と同じ対応なのだ。
自国民が自然災害で被災しているにも関わらず、財政不足を理由に支援を行わない。
棄民と言うのだろうか、自国民を日本政府はを捨てたのだ。
そうした恐ろしい真似をした自公政権を日本人は、数こそ減らしたが政権を帰るまでには至らなかった。
正直思ったことは、この国民は滅ぶべき民族なのだと自覚した。
日本の国会議員の九割以上が帰化人であり、日本人では無いといい宇話しをよく聞く。
私はそれは真実だと考えている。
ウクライナのゼレンスキー大統領もウクライナ人では無く、ユダヤ人だ。
他国の人間が国の代表になると、民族浄化が始まる。
ウクライナは多民族国家だ。
日本は未だ、他院族国家には成っていない。
私は思う。
国は同一民族の集団であり、同じ文化を共有する人間集団が国家を形成すると。
つまり、EU(欧州連合)は国家では無く、寄り合い所帯の多民族連合であり、国家では無いのだ。
人間は大きな間違いをしている。
人間といえども、人種・民族の区別がある。
交われば混血が産まれるが、基本的には民族の純血こそが望ましいとするのが生き物だ。
多民族国家など、絶対に成り立たない。
常に民族間紛争が起きるだけだ。
同一民族でさえ、異端児は疎まれる。
理想は人種・民族に関係なく良好な関係を保つ事だが、生き物はそうは行かないように出来上がっている。
常に他民族・他人種は生存競争の的なのだ。
そうした生き物の本質を、訳の分からない共生とか寛容などの人間の思考の判断では決して解決できない。
人間は脳味噌だけで思考しない。
生き物である以上、第二、第三の脳が思考し、判断する。
人間個人の嗜好による判断など、本能と反射の領域内の判断だ。
やはり、人間種は近々滅びる運命なのだろう。
Amazonで熊撃退のスプレーが物凄く種類が出ている。 ― 2025年11月20日 12時52分04秒
Amazonで熊撃退のスプレーが物凄く種類が出ている。
つまり、売れているのだ。
私は散歩の帰りに考えた。
護身用の武器として、スプレー缶も良いが、相手の目を失明させるほどの毒を噴霧する水鉄砲は有効だと考えた。
問題は、毒薬の選択と、自身の防護だ。
噴霧なり噴射した場合、自身に跳ね返ってくる可能性があるからだ。
ゴーグルなどの必要がある。
また、失明させる薬品は何かも調査しなければならない。
水鉄砲にしても、薬品を補充する場合は、薬莢の様なモノが必要だと思った。
常に水鉄砲に薬品を入れておくのは危険だからだ。
破裂する袋を箱などに入れて、使用時に投げつけるという武器も良いかも知れない。
破れやすいが保存性が高い。
破れた薬品は、失明させるほどの強力な薬物。
先ずは薬品の効能と効果を確認して、入手可能かを調査する。
入手できるなら、どういった使い方、運用方法が寄り効果的かを考える。
目的は相手を戦闘不能にして、可能であれば死に至らしめる事だ。
身体への刺激は即効性であること。
死に至らしめる効能は遅効性でも問題ない。
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