政府は財政支出を行うにあたり、国債を新規に発行し、民間銀行に売却する。 ― 2026年09月06日 13時49分38秒
①政府は財政支出を行うにあたり、国債を新規に発行し、民間銀行に売却する。
※民間銀行が新規発行国際を購入するためには、日銀当座預金を有している必要が有る。
※日銀当座預金は日銀(日本銀行)が創造し、供給したもの。
※民間銀行の日銀当座預金は、民間預金を原資としたものでは無い。
②民間銀行が新規発行国債を購入すると、その購入額分だけ、民間銀行の日銀当座預金が減り、政府が日銀に開設した政府預金が増える。
③政府が財政支出すると、政府預金が支出先の民間事業者の口座がある民間銀行の日銀当座預金に振り返られ、民間銀行はその民間事業者の預金を増やす。
※民間銀行が国債を購入して減った分の日銀当座預金は、ここで戻ってくる(民間銀行による貨幣創造)。
④財政支出は、それと同額だけ民間部門の預金(民間貯蓄)を増やすが、日銀当座預金の額は変わらないので、金利は不変である。
資本主義の根本は利子という考え方。 ― 2026年09月06日 13時48分39秒
資本主義の根本は利子という考え方。
利子を根本とするから銀行経営が成り立つ。
資本主義では、しほんはりしに因り自然増殖する。
実体経済では、生産・販売による付加価値で利益を生むが、貨幣の量は殖えない。
貨幣の量を殖やすのは利子だけだ。
つまり、銀行による融資・利息だけだ。
民間企業、個人が利息を得て利益を得ても、貨幣の量は殖えない。
民間銀行は中央銀行の当座預金で貨幣を創造する。
税は利益に対して課税するモノ。 ― 2026年09月06日 13時47分48秒
税は利益に対して課税するモノ。
消費税は利益に関係なく課税する略奪税。
相続税も同じだ。
欺きと偽りが人間社会の根源である。 ― 2026年09月06日 13時46分19秒
欺きと偽りが人間社会の根源である。
ふと、そう悟った気がした。
人間は言語という道具を使って別の個体との意思疎通を行う。
然し、人間は正に「欺きと偽り」を自分の本意の様に言語を使う。
人間の個体が気づかない場合も有るが、言語は個体毎の修得度によって大きくそのカッツ用法が変化する。
正に語彙(人が用いる語の全体。「語彙(=ボキャブラリー)が豊富な人」)の差だ。
語彙の貧しい個体、豊富な個体間では意思の疎通が出来ない場合がある。
言葉を覚えたての幼児と大人との会話は殆ど成り立たない。
多くの場合、幼児の言っていることが大人は理解できない。
語彙が貧しいと詳細な情報を表現する言葉を持ち合わせない幼児は正しく意思の伝達が出来ない。
個体毎の語彙の貧富の差が言語による会話を成立させないからだ。
これは大人でも同じ事が言える。
政治家などはワザと故事に倣った言葉を使い一般民間人には理解できない事を言って真意をはぐらかす。
北朝鮮が日本の頭上を越えてミサイルを太平洋に落下させた時に、政治家は皆「遺憾である」
と口を揃えて言う。
政治家は北朝鮮に対して怒りを表しているかのように思うだろうが、遺憾という言葉の意味を調べると、”思いどおりにならなくて、心残りなこと。残念。”と言った程度の事なのだ。
つまり、日本の安全保障上の危機でもあるにもかかわらず、「思いどおりにならなくて残念」程度の事を言っているに過ぎない。
日本国民の大半はこうしたことに全く気づいていない。
つまり、の本国民の大半は語彙が貧しいと言うことなのだ。
語彙が貧しいと意味も分からず言われた事を納得した様に思われてしまう。
判らないことは判るように聞き返さなくては駄目なのだ。
言葉は「欺きと偽り」に満ちているのだ。
日本人に限らず、語彙が貧しい人間は大抵の場合、洗脳されやすい。
人間は思い込みだけで生きていると言っても過言ではないからだ。
思い込みの発端は大抵、言語による影響だ。
直接話されたり、文字を読んだりと言語による影響は多岐に渡るが、受け取る側の語彙の貧富で受け取り方が大きく変わる。
先ほどの北朝鮮のミサイルに対する政治家の「遺憾」発言に、語彙の豊富な人間は、政治家の危機感の無さに怒りを覚え、語彙の貧しい人間は、政治家は怒っているんだなと勘違いをしてしまう。
人間は判らないことを聞く事に躊躇う。
会話中の不明点を聞き返すことを話の腰を折ると考えてしまうからだ。
然し、それは与太話での事であり、重要度の高い会話では絶対に躊躇ってはいけない。
こうした傾向は学歴の低い人間ほど、立場の低い人間ほどそうした間違った”気遣い”による躊躇いをする様に思える。
言語は「欺きと偽り」に満ちている。
この事を十分に理解したならば、理解できなかったこと、意味不明なことは確実に聞き返し正しておく必要がある。
あくまで一般論だが、難しい言葉を使い、相手に会話での優位性を持とうとする者は、「欺きと偽り」を企てていると思って良いだろう。
企業に於けるトップの話の中にやたらと専門用語や諺、故事に倣った言葉が頻発する場合は、話している人間に「欺きと偽り」の考えがあるとみるべきだ。
政治家は絶対に真実を語らない。
常に「欺きと偽り」を用いて自身の立場をより優位にすることに終始する。
印象操作やプロパガンダと呼ばれるモノは総て「欺きと偽り」を行うための道具に過ぎない。
そして語彙の貧しい者達は、人間の本能である「自身に都合良く解釈する」に従って、印象操作やプロパガンダを正しいことと思い込んでしまう。
そして、正しいことと判断した人間の個体は、自分の判断を否定したくないという本能的な感情で、間違った事でも自己否定したくない立場で正しいと思い込む。
人間が常に間違った集団行動を取る原因は、正に本能と自己否定への抵抗なのだと私は考える。
人間社会は「欺きと偽りが人間社会の根源である」は、人間の本能と個体の自尊心が引き起こす思い込みから成り立っている。
こうした現状を踏まえて言えることは、人間は本能と自尊心、そして「欺きと偽り」への警戒心が妨げとなり、今以上の発展は出来ないと考えている。
言語は一見、便利で必須の道具のように思われている。
だが、言語は常に「欺きと偽り」を産み出す。
人間は言語を使う限り「欺きと偽り」を避けることが出来ない。
若しかしたら、人間だけが言語という呪われた道具を持ったために、自己抑制が出来ずに異常に増殖し、そして共食いとも思える虐殺を行うのかも知れない。
言語という道具はその貧富の差で、情報の発信者と受信者での情報の意味・内容が全く違うモノになってしまうことだけは認識して置かなければならない。
生き物は矛盾で一杯だ。 ― 2026年09月06日 13時37分01秒
生き物は矛盾で一杯だ。
何故、雌のために雄は苦しまされる?
子孫など無用だ。
人生の選択の機会は有るべき。
子供は二人までと制限するべきだ。
必死に番う相手を探し、結婚して子供を作り育てる。
それに何の意味があるのか?
只、人間種としての営みだけで個体としての自分の意思は何だったのか?
同調圧力と思考放棄が一般的な生き方なのか。
所詮人間も犬猫と同じ本能と反射だけの存在のようだ。
自宅の階段を降りるときに、左足の膝の裏(委中,(いちゅう))辺りに痛みを感じた。痛みの感じからすると火傷の様な感覚が出ている。 ― 2026年09月06日 13時34分00秒
自宅の階段を降りるときに、左足の膝の裏(委中,(いちゅう))辺りに痛みを感じた。痛みの感じからすると火傷の様な感覚が出ている。
ズボンの裾を捲って左足の膝の裏を確認した。
今朝までなんともなかった場所に火傷の跡が出ていた。
昨日はお風呂に入って垢すり帯でこの場所もしっかりと擦っている。
つまりいきなり火傷の跡が出現したのだ。
私はお灸を据えた場所とお灸を据えた日を記録している。
委中,(いちゅう)にお灸を据えたのは8月8日である。
今日は8月13日なので五日も前のお灸の火傷が今出てきたのだ。
よくみるとかなり火傷の度合いは強い。
しかもだんだん痛く感じてきた。
火傷と目で見て認識すると、尚更痛く感じるのかも知れない。
人間の身体はダメージを受けても直ぐに出てこないことがあるようだ。
とりあえず化膿しないようにオロナイン軟膏を塗って置いた。
2022年1月3日に私は電車の駅の階段から転落して左手首を粉砕骨折した経験がある。
その時も左手首が腕にめり込んだのを見て、強引に手首の一まで引き出した事を思い出した。
痛いと言うより、今すぐ元の位置まで引き出さないと左手が使えなくなると本能的に思ったからだ。
階段からの転落だったので、粉砕骨折した手首だけでは無く、顔面も頭も背中も足もかなり打ち付けていた。
駅員に救急車を呼んで貰い、搬送された。
怪我をしたのが1月の三日だったので、当直の医師に外科医はいなかった。
応急処置のギプスを巻いて入院は地元の病院にするとして帰宅した。
入院は1月5日になった。
入院して驚いたのは、入院前には無かった顔の痣が顔の半分近くまで出てきたことだ。
背中にも痣が出来ていた。
転落から五日近く経ってからの事だった。
今回の火傷も五日後に出てきた感じだ。
60歳を過ぎてダメージの出てくるのが遅くなっているのかとも思えてくる。
若い頃は直ぐにダメージが現れるのだが、最近はそうでも無い。
また、空の左右でダメージの受け方が全く違っていることにも気づき始めた。
例えば毛髪の生え方が左右で違っている事にも気づいていた。
人間は左右対称に出来ていると言うのは間違いだ。
右半身と左半身で造りが違っているのが当たり前だと30代ころから気づいていた。
身体の声はしっかり聞かないと、いつ昔のダメージで身体の機能を失うか判らないと思った。
高齢者が風呂場で転倒すると言う原因の一つは、足の裏の角質化した皮膚では無いかと。 ― 2026年08月13日 13時39分06秒
お風呂に入りながら思った。
高齢者が風呂場で転倒すると言う原因の一つは、足の裏の角質化した皮膚では無いかと。
私も60を超えてから身体の変化を感じる。
特に運動能力の衰えは驚くほど早く進む。
そうした運動能力に目が行くのは当然なのだが、年を取ると案外身体の手入れが疎かになる。
例えば爪を切ると言う行為だ。
身体が硬くなり爪を切る動作自体が億劫になることは仕方が無いが、爪は二週間に一度位のペースで切らないと、不潔であり苛々する。
私は概ね二週間に一度のペースで、お風呂上がりに爪を切る。
お風呂の入り方も60歳を超えて変わってきた。
50台辺りまではボディーシャンプーを使って清潔さを保とうとしていた。
然し、よく考えるとボディーシャンプーで柔らかいスポンジのような物で身体を洗っても体表にこびりついた老廃物は殆ど落ちないのだ。
要は会社などで石鹸の匂いをさせていることで、周囲に清潔さをアピールしているに過ぎなかったのだ。
洗い方にも変化が出る。
自分の身体の代謝の激しい場所を理解していないので、どの部位も同じような手間と時間しか掛けずに洗ってしまう。
現在の身体の洗い方は、シャワーを浴びながら垢すり手袋で手の届く範囲を強めに擦り、垢を取り除く。
顔や耳、耳の裏なども強めに擦って角質化した皮膚を取り除く。
次に垢すり帯で背中、太股を強く擦って垢を取り除く。
更に足の指の又を垢すり手袋で徹底して擦り、垢を取り除く。
最後は足の裏を軽石で角質化した皮膚を削り取るのだ。
私だけかも知れないが、60歳を超えた辺りで踝辺りから下の代謝が目立ってくる。
踝が黒くなるのは、角質化した皮膚が残っているからだ。
足の甲、土踏まず、踵、アキレス腱などをかなり強めに軽石で削る。
ボディーシャンプーなど一切使わない。
こうして身体を洗うとかなり感覚が変わってくる。
足の裏の感覚は特に変わってくる。
軽石で角質化した皮膚を削り取ると、床に足が吸い付く感じすらする。
タイルのような滑りやすい場所は別だが、歩く感覚もかなり変わってくる。
年を取るとお風呂に入り、身体を洗うのが億劫になるかも知れない。
然し、死ぬまで付き合わなければ成らない自分の身体のケアは、手を抜くと大けがをして正に死へのロードを一直線に行ってしまう。
体表に垢が少なくなると、発汗しやすく暑い日でも体調を崩しにくくなった。
数を押し返す個人の力が有れば、権力は無力だ。 ― 2026年08月13日 13時29分54秒
ふと思った。
数を押し返す個人の力が有れば、権力は無力だ。
資本主義の根本は利子という概念に有る。
生産活動をせずに貨幣が増殖するのが資本主義のうま味で有り、本質だ。
だから必ず実体経済との差で矛盾が広がり、破綻(恐慌)を引き起こす。
総ての利子という生産行動を伴わない貨幣増殖原理を排除して、利子では無く配当という方式に入れ替えれば良い。
配当は事業に投資し、事業利益の一部を資金投資者に還元する方法だ。
生産活動に於ける分配行為だ。
暑さの特徴は空気の停滞にあると思った。 ― 2026年08月13日 13時27分32秒
暑さの特徴は空気の停滞にあると思った。
大気は移動しているのだが、局所的には暑い空気が停滞して籠もっている。
それが猛暑の本質的な原因に思えた。
大気と共に局所の空気も移動する仕組みが必要なのだ。
家屋も密室では無く、天井から外に熱気が逃げる仕組みを作り、屋内の熱気が天井から外に逃げるように風を作る事で暑さを凌げる筈なのだ。
エアコンの様に室内の空気を冷やすのでは無く、常に空気の流れを作って暑さを逃がす様にしなければ成らないのだ。
冬は熱気を溜めるように少しだけ室内の対流を変える。
現代人の一番の問題点は、一年中同じ気温で同じ湿度を快適だと思い込んでいることだ。
特別な目的の無い限り、極地などの人間には適さない場所での活動はするべきでは無い。
また、40度程度の気温についても、その気温に耐性を持たない人間はその地に暮らす事は出来ないのだ。
人間も生き物である以上、環境に適応出来なければ淘汰されるべきである。
エアコンの様な電気エネルギーに頼り個々の住宅を密室にしての酷暑対策は長くは保たない。
特に日本のようなエネルギーを輸入に頼る国では国民個々人の環境への耐性・順応性を重視して、生活自体を換えて行かなければ、死滅してしまうだろう。
人間の生体は熊とほぼ同じだ。 ― 2026年08月13日 13時24分28秒
ふと思った。
人間の生体は熊とほぼ同じだ。
仲間であっても直ぐに争う。
活動期では常に発情して異性を強姦に近い状況で交尾する。
雑食であり、何でも躊躇いなく食べる。
ライオンや猫についても人間にそっくりだと思った。
自分の遺伝子を残すために同族の子供を殺す。
生き物とは、子孫を残す事を目的に存在している感がある。
私は生きると言う苦しみを考えさせず、交尾という高揚感を幸福感に思わせて累々と生きる苦しみを子孫に伝えるこの世界の生物は愚かだとしか思えない。
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